先週末は、仙台の『杜の都のアート展』に出店してきました。
震災が起こってからずっと、東北に行ってみたいと思っていました。
土日の出店だったのですが、大雨のため日曜日は延期になり、神様が休日をくれました。
土曜日に出逢ったお客さんが
「ボランティアとか、支援とかも嬉しいけど、その実際に被災した場所を見てくれるだけでもいいから。そして、感じてほしい。そこで感じた事を伝えてほしい。」
そう言ってくださいました。何かしなければいけない自分には何が出来るのだろうと思っていたので、「見るだけでいから」その言葉に胸につかえていたものが少し取れたような気がしました。
翌日、思いがけない大雨でイベントが延期になった。
宿泊先で朝に体感出来るほどの地震も実際にあった。
改めて、被災地にいるということを再認識させられる。
「海の方に行けばどこも一緒だから」そう言われていたので海に向かって車を進めました。
標識案内板にはテレビで耳にしたことのある地名がいくつもある。
海に向かって行くにしたがい胸の鼓動が早くなっていくのがわかる。
海までもう少しというところでつかまった信号がやけに長く感じる。
ある異変に気付く、
信号がついていない。壊れてしまって機能を果たしていない。左右を確認しながらゆっくりと交差点を抜ける。
まず、辿り着いたのは仙台港の工業団地であろう場所。
海に向かって進んで行くと下半分がメチャクチャになっている工場や中央分離帯の並木が目に飛び込んでくる。
行き止まりになりUターンする。
その瞬間に景色が一変した。
津波が街に襲いかかっていく方向に向いたからだ。
海に向かって行く景色と海から向かって行く景色は全然違う。これも実際こなければ分らなかっただろう。
車を進めてもどこまでも津波の衝撃が続く、どこまで続くのだろうと思ってしまうくらいに
道はほとんどそのままの状態なのには少し驚く、やはり今回は地震というよりも津波の恐ろしさが際立っている。
そして、次に松島、のびる、釜石と順番に海岸沿いに車を走らせる。
信号が壊れ警察官が手信号で対応していたり、ドライバー同士が譲り合って交差点を進んだりしている。
家が流されて何もなくなった広大な土地が眼前に広がる。もうすでに瓦礫は撤去されていると思われる。
臭いも何だか異臭が漂っているように思う。
ガードレールがなぎ倒された道を進んで行く。
いつの間にか、前に瓦礫を積んだダンプカーが走っている。
そして、呼び寄せれられるように車は、土砂や瓦礫、ゴミが集められるがゴミの集積場所に迷い込んでしまう。
一般の車が入ってはいけないような場所。
そこには、山積みにされたゴミがどこまでも続く。
このゴミはその後どうなるのだろう。
とんでもない量のゴミ。次々に運ばれてくるゴミ。本当はゴミではないのだけれど‥…
そして、ガタガタになった田んぼ道を走って帰る。
この田畑で作物が実るようになるには大変な労力が必要だろう。
なぜなら、その田畑には、生活用品が散乱している。
そして、それらが土と混ざり合い、耕されたように地中から顔を出しているからだ。
実際に見て感じることは映像とは全然違っていた。
自分に何が出来るかということよりも、命や生き方ということを考えてしまう。
これからどう生きるかが問われているような気がする。