先日の福光美術館からスイッチが入ったのが「仏さま」

ずっと2年くらい前から考えていたことがあった。

『流木仏』

幼少期を海の近くで過ごして来たせいなのか海辺を歩くのが好きだった。
おばあちゃんに連れられ石ころを拾い集めた記憶がある。

仏さまを彫る材料も文献を読んでみると榧(かや)、楠(くすのき)、白檀(びゃくだん)などある程度決まっているようだった。それらにはやはり理由があるらしい。

それでもなぜ、流木なのかというと、そこには魅力的な理由がある。
人が年を重ねるとギザギザにとがっていた角が取れて、人として丸くなるようすが、森で育った木が海という大海原の波でもまれ、折れてとがっていた木が丸くなり、また海辺へ打ち上げられる。まさに、人生を歩んできたように感じる。
人の力では、決して作り上げることが出来ない丸みを帯びた芸術的なかたち。その木で彫られた仏さまには、森のチカラと海のチカラが宿っている気がする。同じ形は決してない。
どこの木なのか育った場所もわからない。日本?中国?インド?アメリカ?
いつ海に流れ込んだのかもわからない。一年前?百年前?千年前?一万年前?
そこにロマンすら感じる。

だから、この流木に仏さまを彫るということで伝えられるメッセージは大きいと思う。

表面は灰色に変色しぼろぼろになっているが削ってみると、その切り口からは本来の木の色が顔を出し、その圧倒的な生命力に感動する。さらには、ほんのり磯の香りもするが、木が放つ特有の香りも悠久の時を超えて再び世の中に放たれる。

なるべく刃物を入れずに表現したい。その自然のチカラが作り出した造形に敬意をはらう。

まさに生きている。

日本人は古来より、山や木にしめ縄を張り御神体として祀ってきた。仏像に木彫が多いのもそのためだと言われている。

さあ、今を脱ぎ捨てて新しい世界へ

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