満月の日の朝だった。
「うれしくて目が覚める。」
いつだっただろうか。
映画「パッチ・アダムス」の主人公のモデルになった本人の講演会に行ったことがあった。
なぜ、行ったのか記憶が確かではないが、パシフィコ横浜だったことだけは覚えている。
そのパッチの講演会は、当時の私には理解の出来ないことが多かったが、今思い返してみれば、
もの凄く深い意味のことを話していたんだということが今になって、なんとなく理解出来る今日この頃である。
見ず知らずの隣の席の人と見つめ合い、「愛してる愛してる…」と1分間言い続けるなど
そんな、日本では考えられないような講義もあった。
そのパッチの印象に残っているフレーズの一つに、
「毎日、楽しくて目が覚める!」
強烈なフレーズだった。
その意味を先日、体感することができた。
その朝あの出来事である。
携帯の電話の目覚ましが鳴り、夢と現実の狭間を漂うあの時間。
ふと、器のデザインのイメージが脳裏の浮かんできた。
次々に模様が生みだされていく。
頭が冴えてきて、まさに楽しくて目が覚めてきた。
先日も、ブログで書いたように、器の文様のデザインのイメージがあるのに、
決定的な確信がなかったので、彫るということに踏み込むことが出来なかった。
浮かんできたイメージは、鈴木大拙の本を読んだときのように、川の流れを遮る障害物をきれいに流し去り、
何とも言えない清々しさと、根拠のない自信だけを川の中洲に残していってくれた。
これまで、私が興味を持って学んできたことが全て詰まったデザイン。
縄文土器、アイヌ文様、禅、円空、棟方志功、五輪書、岡本太郎、利休など全ての集約した模様。
もちろん、これが完成ではないけれども、間違いなく大きな転換機になるような気がしている。
文様を彫ってみたが、いつものような心に引っかかる違和感がない。
とうとう見つけた!
他人の評価は気にならないと言えば嘘になるが、そんなことよりも彫っている時間が心地よい。
器の余白と対峙し、彫刻刀を冷静と情熱の間で思うがままに時間を忘れて走らせる。
最初にまっさらな器にぐるぐるとエネルギーが渦巻き始める。
そのぐるぐるが大きくなり、遠心力で一筋が投げ出され新しい渦を形成する。
そいつに続けと次々に後を追って新しい余白へ飛び出して行く。
まっすぐ走ったり蛇行したり、また戻ってきたり
同時多発的にぐるぐるが発生し、それぞれのエネルギーが絡み合い増殖したり打ち消し合ったりする。
最終的には、どこが始まりで終わりかもわからなくなる。
まさに、混沌とした世界が出来上がる。
大半を構成するのは、人間社会と同じように他人の後を追うもの。勇気あるものの後をって、描かれた道筋を規則正しく軍隊のように整列して進む。しかし、その集団が大きな流れを形成する。
集団からはみ出すことはとても勇気のいることだが、その行動が新しいエネルギーを生み、やがて大きなうねりとなる。しかし、みんなばらばらに拡散してしまえばいいというものでもない。そうなってしまうと、全てが台無しになる。それぞれがいるからこそ、それぞれがいきてくる。
言葉にすることはとても難しい。