初めて連絡をもらったのが、未来シアター放送後の2015年3月末のことだった。

仙台の鰻と日本料理の飲食店の主人から送られてきた一通のメールから始まった。

「かねてより思いあぐねていた疑問を質問させて頂きたいのですがお忙しいと思いますのでご返事はいつでも結構です。
江戸前の鰻重を食べるときに鰻とご飯を一緒に口に入れるのですが、箸先が細いと落ちてしまい、太いと鰻がうまく切れ
ないのです。現在リサイクルの持ち手が6角形の箸を使っておりますが、あまり塩梅がよろしくありません。
竹製の割り箸も使っておりますが上品さにかけます。究極の鰻専用箸というものがどうゆうものかいつも考えています。
宮保様にぜひご意見をお聞かせ頂きたいと思いました。」

文面から、主人のこだわりと鰻に対する愛情とこだわりが伝わってきた。
私なりの空想上での鰻を食べやすい箸の見解と形状を伝えた。

主人は、その答えに「ワクワクしてきます。」と返してきた。

うなぎ専用箸「はしっこ」


この出展が、どう転ぶのか今年最大の不確定な賭けだった。

どれだけの集客が見込めるのか。
どんな反応が返ってくるのか。
今後にどう繋がるのか。

全く想像もできなかった。

出展社には日本を代表する医療関係各社の名前が並ぶ。
アステラス製薬・エーザイ株式会社・株式会社大塚製薬工場・小野薬品工業株式会社・第一三共株式会社・中外製薬株式会社・久光製薬株式会社など(あいうえお順)、さらにはトヨタ自動車株式会社、本田技研工業株式会社・株式会社NTTドコモまで

おそらく、企業展示で「株式会社」ではないのは「箸factory宮bow」だけではないだろか。

リハビリテーション医学会学術集会出展報告書

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新作の箸 『御神剣 ~カムハヤ~ 』

初めて個展をしたのが箸だった。
当時は、エコが市民権を得て、マイ箸ブームとなっていた。しかし、マイ箸を買う人は多いが、実際に使っている人は少ないのが現状だった。それならば、持ち歩きたくなるような箸や自慢したくなるような箸を作ればどうだろうか。そうして出来上がった箸は、曲がっていたり、左右が違ったりと様々な形状をしていた。
あれが、出発点だった。
その個展をきっかけに脳性麻痺の男性と出会い今の仕事を始めることになった。

あれから、5年くらい経っただろうか。
久しぶりに、当時のような箸を作ってみたくなった。
それが新作『御神剣 ~カムハヤ~ 』だ。
あの頃よりは、技術的にも精神的にも成長している自覚はある。
同じところに戻ってきたが、螺旋のように一周まわって、ちょっとだけ階段を上っている。
故郷に帰ってきたような感覚もある。戻れる場所があるということはありがたいことだ。

おそらく、これからも様々な箸を作り続けていくことだろう。
今はまだ、若かりし宮本武蔵のようにエネルギーを撒き散らしているような箸を作っているが、このスタイルがずっと続くとは思っていない。
少しづつ螺旋階段をのぼっていき、変化を恐れずその時にしか作れない表現できない箸を生み出していきたい。

いつか円空仏のような箸が出来上がることを夢見て

今年は以下の2つに挑戦します。

1.  6月に『日本リハビリテーション医学会学術集会』に出展します。

2.  英語を勉強します。

これまで、二の足を踏んで飛び込むことが出来なかった医療の分野に足を踏み入れます。
手の不自由な人のためにお箸を作り始めて5年が経った。
今現在は、全国の百貨店などでお箸を販売し、オーダーを受けている。
しかし、もっとより必要としているひとが多いのは、介護施設や病院などであることは間違いない。
でも、どうすれば病院関係とのつながりができるのかわからなかったが、医学学術集会でも出展を募集していることを教えてもらった。
どんな様子か想像もつかないが、なにかそこからつながりが出来ればと思っている。
さらに、『日本リハビリテーション医学会学術集会』の翌々週には、『リウマチ友の会』の全国大会が福井で開催される。
そこにも出展させてもらえることになっている。

ふたつめの英語は、これも以前からずっと必要だと思っていたが、つまみぐい程度しか勉強してこなかった。
本気になった理由は、昨年にテレビの番組で一緒になった『兵左衛門』というお箸業界のトップランナーの会長さんが、
私のお箸に興味を持ってくださり、昨年末に韓国で開催された『箸フェスティバル特別展』で展示してくれました。
世界中の人に自分の言葉であのお箸を紹介して想いを伝えたいという思いが強くなってきた。

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出品証明書
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図録抜粋

そんなつもりがなかったが、なぜか縄文時代にタイムスリップ。

以前から、一度行って見たかった山梨県北杜市の清春芸術村。
そこだけ行くにはもったいないということで、ここも以前から気になっていた静岡県静岡市の芹沢銈介美術館へも行くことにした。

芹沢銈介、染色家の人間国宝。文字を絵として表現したり、文字をデザインしそのまま模様として生地に描く。現在のテキスタイルデザイナーである。想像以上に素晴らしかった。何度でも足を運びたい美術館だ。
芹沢銈介には、もう一つの顔がある。それは蒐集家だ。
世界各国の民族アート作品から縄文土器までとその興味の幅はとてつもない。

その美術館があるのは、日本人なら誰もが知る弥生時代遺跡の登呂遺跡がある場所なのだ。

個人的には、弥生時代にはあまり関心がないが、無料で展示を見れるとなれば、お邪魔するのが礼儀である。

そして、その中で私は重大な発見をしてしまう。

私の中で、縄文時代の火焔型土器と双璧をなす、水煙文土器が同時に展示される特別展が現在開催されていることを知った。

それが、芹沢銈介美術館の後に行こうと思っていた清春芸術村がある山梨県の山梨県立考古博物館だったのだ。

千載一遇とはこのことをいうのだろう。
いや偶然なのか、それとも誘われたのか、

清春芸術村に行こうと思わなかったら
芹沢銈介美術館に行っていなかったら
登呂遺跡博物館に入っていなかったら
その日に特別展がやっていなかったから

水煙式土器に出逢うことはなかった。

火焔式土器だけでは、あのフォルムや細部の疑問が解決できなかったが、水煙式土器と並べて見比べると、なぜ土器があのような形になったのか、少しだけ氷解したような気がした。

山梨県立考古博物館では、さらにおまけまでついてきた。
なんと、縄文好きの縄文人による縄文人のためのフリーペーパーマガジンが発刊されていることを知った。しかも、今年8月に第1号が発刊されたばかりで、その記念すべき第1号の特集が芹沢銈介さんの縄文コレクションということに驚きを超えて、もはや運命すら感じるほどだ。

まだまだ、私にはシンプルな作品は作らせてくれなさそうだ。
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