今、ボレロを聞きながらこのブログを書いている。
クラッシック音楽で一番好きな楽曲は?と聞かれると間違いなく「Bolero ボレロ」と答える。
むしろ、ボレロ以外のクラッシックの曲を詳しく知らないので、そうとしか答えようがないと言った方が正解かもしれない。
遡ること7月。レコードに興味を持ち、一番最初に購入したのがボレロだった。以前から理由は分からないが興味があった。
その後、レコード市へ行ってはボレロを探し、今では世界各国の交響楽団が演奏するボレロのレコードを5枚持っている。
それぞれに個性があり、聴き比べるとさらにその魔力の虜になってしまう。
話は変わるが、先月の初めに福井県今立の野外能楽ステージで行われた能と狂言を見に行ってきた。
狂言に出演したのは野村万作、野村萬斎親子だった。
こちらも以前から野村親子狂言に興味があり鑑賞する機会を伺っていた。
狂言を見て、今現在まで伝統が続いてきた理由が少し分かった気がした。
なぜ、話が狂言に移ったのかというと、この「ボレロ」と「狂言師 野村萬斎」が同時に見ることができる舞台が金沢で用意されていたのだ。
《石川県立音楽堂開館15周年記念スペシャル・コンサート》
指揮 井上道義 管弦楽 オーケストラ・アンサンブル金沢 舞 野村萬斎 楽曲 ラヴェル「ボレロ」
ボレロは、ご存知のように終始一貫したリズムで全曲がクレッシェンド(音量漸増)されるという独特の楽曲である。
私なりにボレロの解釈を述べさせてもらえれば、すべては最後の一瞬のためだけにあると言っても過言ではない。
いかに最後を最高の状態で聞かせられるか。それだけを考えて構成されているとしか思えないほどである。
曲の最後の盛り上がりが、心を抑揚させボルテージが最高潮に達する。
これまでなんども繰り返されていた旋律が、突然終止符を打たれように一瞬で終焉を迎える。
ラヴェルの計算され尽くしたシナリオにすべての人がノックアウトされる瞬間だ。
しかし、曲が終わった後は、すぐに現実に引き戻されるわけではない。
その最後の瞬間は、スキーのジャンプ台から飛び出した瞬間のようで、その勢いのまましばらく飛んでいられる。
しかし、この感動は録音された音楽ではなかなか感じることは難しいかもしれない。
生のオーケストラの演奏とあのコンサートホールのすべての聴衆との一体感、そして体で感じる振動。
そのすべてがあって初めて完成するものなのかもしれない。
改めて、音楽は聴くものではなく感じるものだということを再認識した瞬間だった。
この「ボレロ」を私なりに昇華し、作品として表現してみたいと以前から思っているが、
まだエネルギーの終着地点が見つからない。