以前からずっと興味があったが、じっくり鑑賞できていない画家がいた。
片岡球子
色とりどりのカラフルな富士山を描くおばあちゃんというイメージしかなかった。
その片岡球子の生誕110周年の展覧会が愛知県立美術館で開催されていることを知ったその二日後に名古屋へ
予想を超える作品数と富士山の画家というイメージを軽々と飛び越えるバラエティ豊かな作品群にただただ圧倒された。
改めて私が心惹かれる人や作品には共通した傾向があることを感じた。
見ていて疲れる作品。エネルギーが溢れほとばしるような作品。
その人がなぜその表現方法に至ったのか、どうやってそこにたどり着いたのか。
作り上げた作品にも心惹かれるが、それと同じくらいに、その人の背景や思想、考え方にも興味が湧いてくる。その人を知りたくなる。
私の作品もそうありたいと思う。自分の生きざまや思想を込める。
そう聞かれると、1時間でも2時間でも語れるくらいに
おそらく、まだ好きな人の模倣やブレンドでしかないだろう。
今まで興味あるものを手当たり次第に詰め込んできた頭の中が、いつかすべてひとつに繋がり、綺麗に澄み渡った時、どんな作品が出来上がってくるのかが、楽しみでならない。
想像がつかないから面白い。
そのために、今は興味があることを掘り下げる。
以前、横浜そごうの美術館で開催されていた「円空木喰展」の巡回展を調べたところ、7月12日まで愛知松坂屋美術館でも展示会があることを知り、片岡球子とともに名古屋で念願の「円空木喰展」を鑑賞することもできた。
型破りでアンバランス、どこかユーモラスな円空仏。
あの形を真似して作っても意味がないと思っている。円空さんの辿り着いた形があの造形なのだろう。
私のたどり着く形はどんなものだろう。
どんどん個性が強くエネルギーに溢れてくる作家と悟りを開いたようにシンプルになっていく作家がいる。
どちらの気持ちも自分の中に共存している。
なやましい