タイミングというのは重なるもので、海外の方とお箸について話をする機会がありました。
ひとつは、仲良くさせてもらっているお箸屋さんが、ニューヨークの展示会に愛bowを持っていってくれました。そこで、現地の意見を直接、聞いてきてくれました。
海外では、ケガや病気で手が不自由になった人はどうのように食事をしているのか。
自助具としてのお箸はどう評価されるのか。
ふたつめのは、BBCラジオ番組(英国放送協会のラジオ番組)の取材でお話しさせてもらった時です。
その時に、日本人なら全く気にもしないようなことに引っかかるようです。
そして、不思議なことに、質問に対しての答えがどちらも同じ反応だったことに驚きました。
「日本人にとってお箸とはどんな存在なのか。」
「なぜ、そんなにお箸にこだわるのか。」
「なぜ、お箸は特別なのか。」
私たちにとって当たり前すぎて考えることもなかったこと。
そんなことが不思議に思うようです。
私は、その質問された時に、「日本人にとって箸とは。」を初めて考ました。
答えは、日本の歴史や生活様式を深く掘り下げないと箸というものが見えてこないでしょう。
したがって、海外の方にとって日本料理を食べるための道具としか捉えられていないのかもしれません。
箸というのは日本食という文化があって初めて成り立つ道具だろう。それを食べるマナーや作法としてお箸がある。器を手に持つ文化のない欧米人にとって片手で食事をすること自体が不思議なことなのかもしれない。
「日本食は、なぜ箸で食べるのか。」
それでは、自問自答開始。
器を手に持って食べるから片手で食べるために考えられたのだろうか。いや、それ以前にも箸はあっただろう。肉料理のように切り刻むことが必要ないから、箸で食事が完結するからだろうか。床に座る生活だったので、料理と口の距離が遠いので器を持つ必要があるのか。木が身近にあり、フォークのような複雑な道具よりも、二本の棒を作りやすかったからなのか。中国からの影響も考えられるだろう。お米を食べるなら断然箸の方が食べやすい。米の文化圏は箸が多いかもしれない。
なんだか、米との関わりが強そうな気がしてきた。
「日本人にとって、箸はどんな存在なのか。」
再び、自問自答開始。
毎日必ず使う道具。日本食を食べるための道具。箸がない生活は想像もできない。なぜか。箸一つでつまむ、きる、開く、混ぜる、包む、刺すなど様々な作業ができるから。逆に考えれば、箸が使えないと、とてつもないストレスを感じることは想像できる。
そうか、使えなくなると困ることが容易に想像できるからだ。
この当たり前の食生活が送れないと想像を絶する苦痛かもしれない。
それが嫌だから、箸を使うことにこだわるのか。
それならば、海外の人には、そのストレスは理解できない分かるような気がする。
そのためには、箸の多様な用途を知ってもらい、その便利さを実感してもらうと、少しは理解してもらえるはずだ。
フランス料理などはナイフとフォークで食べるからこそ、その仕草が美しく見える。
これは、日本料理にも言えることだろう。
箸で食べるからこそ、その姿が美しい。
料理と道具は深く結びついている。
料理のための道具であり、その道具があるからこそ美味しく美しく食べることができるのだ。