『鈴木大拙の言葉』
この本を読んであまりにも多くのガッテンがあったことを報告する。

ここ数ヶ月の間に読んだ本。
宮本武蔵『五輪書』、中国宋時代禅僧の本『無門関』この2冊は私には難しすぎて理解出来なかった。
白隠禅師の本も読んだ。重森三玲庭園に行った。伊藤若冲の五百羅漢に出会った。

全てに共通すること

『禅』

半年程、知らず知らずのうちに『禅』の世界をのぞき、さまよい、考え、もやもやしていたような気がする。

たまたま、図書館で目に入った鈴木大拙の本。
名前を聞いたことがあったくらいで、どんな功績がある人物なのかは、ほとんど知らなかった。
仏教学者ということも本を読んで知った。

なぜ、この本を手にしたのか分からない。
もちろん、禅の本ということも知らなかった。
しかし、この本がこれほどまで自分の心のよどみをきれいに洗い流してくれるとは思ってもみなかった。

この『鈴木大拙の言葉 世界人としての日本人』(著者 大熊 玄)は、鈴木大拙(禅)の思想を中学生に分かりやすく伝えるために書かれたものをまとめた本だった。

私の心に響いた文章を抜き出し要約していくつか紹介する。

・「自由」という言葉は、もともと〈おのずから出てくる〉という意味。
 それに対して「フリーダム」は、〈他による抑圧・牽制からの解放〉という意味。
 東洋の自由と西洋のフリーダムは違う。
 「自由」とは、自らに在り、自ら由り、自らで考え、自らで行動し、自らで作ることである。

・自分と相手を区別し、対立させて、その相手を征服したいと考える。そして征服するために  は、自分だけが力を持つということを望むようになる。これが「力にたいする欲」。そして、 自分だけが得をしたい、自分だけを大事にしたいという「我執」のために、苦しみの炎が燃え 盛ります。では、どうすればいいのか。「詩」を知ればいいのです。「詩」を知ることが、対 峙的な世界を「夢の如し」にして、炎を消し去るのです。

・人は、壮大な空間・悠久の時間に触れたとき、何か偉大なものへの畏怖を感じます。「詩人」 とは、そうした感覚が最も卓越した者なのでしょうが、「日本の詩人」はさらに独特だという のです。なぜなら、日本の詩人にとっては、そのものの大きさは問題にならないからです。
 どんな日常的でごく小さなものの中にも、何か偉大なものへの「崇高な畏怖の念」を感じ取る ことが出来る。

・勤労の中にあって自ら勤労を楽しんでいる者にとっては、何も慌ててそれをやり遂げることば かりを急ぐことはない。

・人間の生活そのものが、芸術的作品あるいは「詩」となり、その人間は、生きているというそ のことだけで芸術家となる。

・大拙は、「貧困」を〈財力・権力・名声という世間的な価値に頼らない生き方〉といういみで 肯定的にとらえています。そして、その貧困の中に、時代や社会的地位を超えた価値である日 本的な平和「わび」を見ています。そして、こうした茶人(生きることの芸術家)が持つ”貧 の平和”は、怠惰ではなく、精神的な戦いによって得られるのです。

・「貧の平和」とは、対立の多いこの社会のなかで、対立から逃げず、対立を恐れず、「自由」 に生きることをいいます。

・禅の心理は、全人格の総力を尽くして当たらねば、けっして得られない。路は棘と茨におおわれている。よじ登る足もとは滑りやすく、危険この上もない。これは遊びごとではない。生涯最高の大事である。怠け者は、あえて近寄ろうともしないであろう。

興味、関心を持たれた方は、読んでみることをおすすめする。
それぞれ、心惹かれる箇所が違うはずだから。

鈴木大拙の言葉 世界人としての日本人 
著者 大熊 玄
発行人 渡辺 純子
発行所 (有)朝文社

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