最近、ありがたいことにテレビの取材を受けることが多い。
取材の際には、たくさんの事を聞かれる。
話すためには、頭の中を整理しなければいけない。
その際に、色々なことを思い出したり、改めて振り返ったり、自分の中を客観的に見つめ直したり、普段では意識しないことまで考えて新しい発見もある。
こうした機会を与えてもらえることはありがたい。
以前と変わらないこと、成長したと実感できること、これからのことなど
これらの自分のこととは別に、もうひとつの発見がある。
実は、こっちのほうが私にとって大きな影響を与えることもある。
それは、普段ではなかなか聞くことができないお箸で困っている人の話や、実際に不自由に感じていること、私の箸を使うようになって変わったことなど、直接インタビューを通して聞くことができることだ。
それらの内容は、テレビの放送を見てもらいたいが、皆さん口を揃えて同じことを言う、
「介護用品として売られているものは、カッコ悪いし使いたくない。」
「使う人のことを考えて作られているとは思えない。」
箸を使えなくなった人は、皆さん同じことを言う。
「スプーンとフォークで食べられるものしか食べなくなった。」
「こぼしてながらでも、箸で食べたい。」
「外に食事に行かなくなった。」
「食事の量が減った。」
「和食を食べなくなった。」
「使えなくなって初めて、箸を使えることの大切さに気がついた。」
箸を使うということが当たり前すぎて、使えないということは、私たちが想像している以上にとてつもなく不自由なことが多いのだ。おそらく、私たちが想像もつかない苦労が山ほどある。
それだけではない。箸が使えないことは、どうも食事だけに関わることではないらしい。行動範囲や生きる気力にまで大きな影響をもたらすという。これは、私たちが日本人だからこその宿命かもしれない。
箸は日本人にとって、どれだけ大切な道具であるか改めて考えさせられたいい機会になった。