ルゥーシー・リィーといえば、高台が小さくラッパのように広がった形状の器を思い出す。これまで彼女の作品を見てもそこまで惹かれたことがなかったし、数ある作品の一つに過ぎなかった。だが、あの形状は不思議と記憶に強く刻み込まれているのだ。

今、私は自分が美しいと思えるフォルムの作品を生み出そうともがいている。そんな中、美しいフォルムを追求していくと、彼女の作品のような高台が小さい器になることが何度かあった。もしかしたら、記憶の奥底に強く刻み込まれたあの形状が無意識のうちに顔を出したのかもしれない。

不思議と美しい造形を追求していくとその線上に彼女がいるのである。

その理由は、この本を読んで納得した。

「… 釉も文様も、それぞれの特質を最高度に発現しながら、このフォルムの磨き抜かれた美しさを引き立てる__というよりもむしろ、フォルムと釉と文様とが渾然と一体になって、まさに陶磁器以外の何ものでもない一つの世界がここに作り出されているのである。」

「彼女は極めて多様で豊かな装飾文様を生み出すことができた。しかもその文様は、あくまで作品のフォルムに即しつつ、その表面を生気づけるためにほどこされていて、決して過剰に陥っていない。このフォルムが装飾を引き立て、装飾がフォルムを活かすという関係は、ルゥーシー・リィーの作品においては絶妙と言っていいほど見事である。」

まさに、この二つの文書は、私が美を意識して作品を生み出すときに、細心の注意を払っていることに他ならない。

私は器を作る時に、全体のバランス、高台の大きさと高さ、口縁の反りと厚み、装飾をどこにどれだけ入れれば良いかを考えている。装飾はとても重要な役割を果たしている。線一本をどこに入れるかによって、間延びしていた胴の張りに緊張感が出てくる。何本入れるかによって、線の上部と下部のバランスが大きく変わる。線の太さによって力強さと繊細さが変わり全体の印象が違ってくる。また、模様の彫り込んだ線が指にかかり滑り止めの効果にもなる。

これらの見極めは、私はまだまだ未熟だ。経験を重ねていくしかない。この積み重ねが、自分だけの曲線、バランス、装飾を作っていくことになっていくのだろう。

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