先日もブログに書いたように、今自分の内側を覗き見て、答えを導き出すことはまだまだできないのだが、客観的に認識したいと思っている。
箸づくりの方は、想いや目指すところははっきりしている。宮保克行として木工デザイナーとしてはこれも、おおよそ把握はできているつもりである。しかし。木工作家としての宮保克行としては何をしたいのか。何を表現したいのか。なんのためにものを作るのか。それを確認して見たくなった。

その呼び水として、芸術家の考え方や信念、目指しているものなどを知りたくなった。
そこに、ヒントがあるような気がして

図書館でたまたま手に取った「美術家たちの証言」とても興味深く読ませていただいた。
故人のことを評論家や誰かが研究や憶測で述べているものではなく、本人の口から、または手で書かれた生きた言葉を読みたかった。

この本の中で今の自分に引っかかった芸術家の言葉を紹介する。

高村光太郎
芸術作品には何か真面目な要求ー私はこれを詩というーが必要だ。

安井曽太郎 
自然をよく見て学び、形、色、線の組み立て等を取り入れることをやっている。

篠田桃紅
「よめないけれども美しい」読めればその文字なり、文字の内容が折角の純粋な視覚の感動に立ち代わって来るでしょう。
主体は文字ではなく、書く人の精神なのですから、文字は表現の造型状上の材料に過ぎなくなります。

棟方志功
目をつぶっても三角刀ひとりでに動き出すようにならなければ駄目です。
「よさばかりでなく、自分の臭味や欠点もさらけ出しながらそれが逆に魅力とならなきゃいけないと思うのです。」

浜田知明
あまりに抽象化することは見る人に描かれたモチーフへの手がかりを失わせ、作家の意図を曖昧にしてしまう恐れがある。
ひたすらに自分に誠実であろうとすることだけが私の支えであった。

志村ふくみ
全く自由に見える一本の糸もその元をたどれば、宇宙の根元にしっかりと結ばれていなければ、みるものに確固とした実在感を与えることはあり得ない筈である。優れた作家の仕事は、鋼鉄のようなロープの起伏やうねりの中に制作者の哲学がひそむのを感じ、無数に立林する直線や斜線の糸の交錯の中に繊細な室内楽を聞く思いがする。
仮に伝統の城に安住し、人工の粋をきわめ技巧に身を固めた仕事を前者とすれば、人間の心理や情緒をさかなぜするような特異な衝撃のみをあたえる仕事を後者といえるだろうか。

川俣正
現代美術に多くの観客はいらないというのではなく、もともと分かち合えないものとしてあるということを前提として、そこからどのくらい現代ということのシンパシーを感じ得る人達が現れてくるのかということ。
この暴力的な消費社会の中において美術のフィールドに限らず表現の場そのものを自分の中で一つの表現ファクターとして考えることから始めない限り、この大きな消費のサイクルの中で個人の表現というものが上滑りしていかざるを得ないのではないかという危機感をどこかで感じているからである。

野見山暁治
人間ですから、自分の目で見たことのないものを描くわけがない。私がどんなに世の中にないものを描こうとしても、どこかで見たものの寄せ集めでしかないんです。見たものを描きながら、実は、神様がいろんな世の中をつくったり、動物や人間を作ったりしたように、人間だって画面の上に、自分の好きな風景や自分の好きな動物をつくってもよろしかろうと。

では、私は何がしたいのか。自問自答してみる。
私の興味の変遷を思い出してみた。
仏教 → 禅 → アイヌ → 縄文 
どんどん原始的なものに惹かれるようになってきたのだろうか。自然や宇宙の真理の探究なのか。
人で興味を持ったのは、ゴッホ・棟方志功・円空・鈴木大拙・ジャコメッティ・宮本武蔵・片岡球子・岡本太郎・スティーブ・ジョブズ・パッチ・アダムス。そして、クラッシックのboleroも好きだ。
これらから見えてくるのは、間違いなくエネルギーだ。私はエネルギー溢れる強烈な個性に惹かれるのだ。

強烈なエネルギーの作品を作りたいと思う反面、静寂で無感情な作品を追求する自分もいる。
作品のテーマとしてよく用いるものは、月と太陽、裏と表、ぐるぐる文様、無意識、偶然

今は、その瞬間に作りたいと思うものを自分に正直につくっていきたい。
その先に集約されるなにかを楽しみにしていきたい。

先日もブログに書いたように、今自分の内側を覗き見て、答えを導き出すことはまだまだできないのだが、客観的に認識したいと思っている。
箸づくりの方は、想いや目指すところははっきりしている。宮保克行として木工デザイナーとしてはこれも、おおよそ把握はできているつもりである。しかし。木工作家としての宮保克行としては何をしたいのか。何を表現したいのか。なんのためにものを作るのか。それを確認して見たくなった。

その呼び水として、芸術家の考え方や信念、目指しているものなどを知りたくなった。
そこに、ヒントがあるような気がして

図書館でたまたま手に取った「美術家たちの証言」とても興味深く読ませていただいた。
故人のことを評論家や誰かが研究や憶測で述べているものではなく、本人の口から、または手で書かれた生きた言葉を読みたかった。

この本の中で今の自分に引っかかった芸術家の言葉を紹介する。

高村光太郎
芸術作品には何か真面目な要求ー私はこれを詩というーが必要だ。

安井曽太郎 
自然をよく見て学び、形、色、線の組み立て等を取り入れることをやっている。

篠田桃紅
「よめないけれども美しい」読めればその文字なり、文字の内容が折角の純粋な視覚の感動に立ち代わって来るでしょう。
主体は文字ではなく、書く人の精神なのですから、文字は表現の造型状上の材料に過ぎなくなります。

棟方志功
目をつぶっても三角刀ひとりでに動き出すようにならなければ駄目です。
「よさばかりでなく、自分の臭味や欠点もさらけ出しながらそれが逆に魅力とならなきゃいけないと思うのです。」

浜田知明
あまりに抽象化することは見る人に描かれたモチーフへの手がかりを失わせ、作家の意図を曖昧にしてしまう恐れがある。
ひたすらに自分に誠実であろうとすることだけが私の支えであった。

志村ふくみ
全く自由に見える一本の糸もその元をたどれば、宇宙の根元にしっかりと結ばれていなければ、みるものに確固とした実在感を与えることはあり得ない筈である。優れた作家の仕事は、鋼鉄のようなロープの起伏やうねりの中に制作者の哲学がひそむのを感じ、無数に立林する直線や斜線の糸の交錯の中に繊細な室内楽を聞く思いがする。
仮に伝統の城に安住し、人工の粋をきわめ技巧に身を固めた仕事を前者とすれば、人間の心理や情緒をさかなぜするような特異な衝撃のみをあたえる仕事を後者といえるだろうか。

川俣正
現代美術に多くの観客はいらないというのではなく、もともと分かち合えないものとしてあるということを前提として、そこからどのくらい現代ということのシンパシーを感じ得る人達が現れてくるのかということ。
この暴力的な消費社会の中において美術のフィールドに限らず表現の場そのものを自分の中で一つの表現ファクターとして考えることから始めない限り、この大きな消費のサイクルの中で個人の表現というものが上滑りしていかざるを得ないのではないかという危機感をどこかで感じているからである。

野見山暁治
人間ですから、自分の目で見たことのないものを描くわけがない。私がどんなに世の中にないものを描こうとしても、どこかで見たものの寄せ集めでしかないんです。見たものを描きながら、実は、神様がいろんな世の中をつくったり、動物や人間を作ったりしたように、人間だって画面の上に、自分の好きな風景や自分の好きな動物をつくってもよろしかろうと。

では、私は何がしたいのか。自問自答してみる。
私の興味の変遷を思い出してみた。
仏教 → 禅 → アイヌ → 縄文 
どんどん原始的なものに惹かれるようになってきたのだろうか。自然や宇宙の真理の探究なのか。
人で興味を持ったのは、ゴッホ・棟方志功・円空・鈴木大拙・ジャコメッティ・宮本武蔵・片岡球子・岡本太郎・スティーブ・ジョブズ・パッチ・アダムス。そして、クラッシックのboleroも好きだ。
これらから見えてくるのは、間違いなくエネルギーだ。私はエネルギー溢れる強烈な個性に惹かれるのだ。

強烈なエネルギーの作品を作りたいと思う反面、静寂で無感情な作品を追求する自分もいる。
作品のテーマとしてよく用いるものは、月と太陽、裏と表、ぐるぐる文様、無意識、偶然

今は、その瞬間に作りたいと思うものを自分に正直につくっていきたい。
その先に集約されるなにかを楽しみにしていきたい。

国際福祉機器展に向けてどのようなブースに作り込むかを知人のデザイナーと考えている。

まず最初に、最終目標を確認する。
 〈最終目標〉箸を必要としている人に届けて食事をサポートする。喜んでもらう。

最終目標から順番に遡って考える
喜んでもらう ← 使ってもらう ← 買ってもらう ← 選んでもらう ← お店やカタログで紹介してもらう ← 愛bowの機能やメリットを理解してもらう ← 存在を知ってもらう

愛bowの知名度は、まだまだ知られていないのが現状である。

今回の展示会では、いかに多くの来場者に愛bowの機能を知ってもらえるかが重要なポイントである。

そのためにどのようなブース作りが必要なのかを、文章におこしながら頭の中を整理し、客観的にシュミレーションしていく。

人の判断時間は3秒と言われている。
その一瞬でどれだけ心を動かすことができるか。

来場者がどんな情報を求めているのか。
どんなことに興味を持ってくれるのか。

昨年の国際福祉機器展の来場者アンケートの結果をみてみると、
来場の目的は?
利用する製品を探す。52.3%
福祉機器全般を知るため28.2%
「デザイン性の高いものがもっと出てきてほしいと思います。」
「介護される方が申しわけなく感じないものを開発してください。」
(参考意見抜粋)

どのような製品をお探しですか?
日常生活支援用品(自助具、介護関連用品など)7%
「福祉機器は実際に見て、触れて、体験してみないとわからないことが多いため、それができて満足です。どの企業の方も詳しく話してくださって良かったです。」

以上のことから、推測して「使いたいと思える製品がないかを探している。」「新しい製品を体験してみたい。」が来場者の目的として考えてみることにする。

では、愛bowの新規性や他社にない強みは?心惹かれるポイントは?
 デザイン・機能
 プレゼントとしての位置付けも考えられる。

市場に流通している商品に欠けている要素は?
 デザイン・満足感・使いやすさ

ターゲットは?
誰がこの箸を使うのか、どんな人が使うのか?
 見た目にこだわる人・自然派・高級志向の個人のユーザー・ハイセンスな人

どこにどう売りこめば効果的か?
 高級型の介護施設、個人、百貨店、介護用品売り場、病院、セレクトショップなど

この箸によってどんな問題が解決できるのか?
  これまでの箸では使えなかったユーザーの問題←形状や機能、握力など
  介護者の負担、使用者のプライドや満足感・精神面

キーワードが絞れてきた。
「デザイン」「高級感」「プレゼント・ギフト」「満足感」

これらのキーワードから、来場者の心を動かすブースのイメージを探っていこう。
今日はここまで

次回は箸factory宮bowとしてのブランドイメージについて再確認と再構築してみよう。

最後に「アップルのデザイン」という本を読んで心に残った文章を書き記しておく。

顧客とのあらゆる接点をデザインする。 
商品の存在を知り、商品を買いに行き、実際につかって生活する。その全ての場面で消費者が得る一連の体験を丹念に作り込み、いかなる場面でも顧客を迷わせず、がっかりさせす、そしてそのうえで顧客の予想を超えるようなサプライズを用意する。
素人にもわかる範囲のセンスの良さにとどめる。

国際福祉機器展に向けてどのようなブースに作り込むかを知人のデザイナーと考えている。

まず最初に、最終目標を確認する。
 〈最終目標〉箸を必要としている人に届けて食事をサポートする。喜んでもらう。

最終目標から順番に遡って考える
喜んでもらう ← 使ってもらう ← 買ってもらう ← 選んでもらう ← お店やカタログで紹介してもらう ← 愛bowの機能やメリットを理解してもらう ← 存在を知ってもらう

愛bowの知名度は、まだまだ知られていないのが現状である。

今回の展示会では、いかに多くの来場者に愛bowの機能を知ってもらえるかが重要なポイントである。

そのためにどのようなブース作りが必要なのかを、文章におこしながら頭の中を整理し、客観的にシュミレーションしていく。

人の判断時間は3秒と言われている。
その一瞬でどれだけ心を動かすことができるか。

来場者がどんな情報を求めているのか。
どんなことに興味を持ってくれるのか。

昨年の国際福祉機器展の来場者アンケートの結果をみてみると、
来場の目的は?
利用する製品を探す。52.3%
福祉機器全般を知るため28.2%
「デザイン性の高いものがもっと出てきてほしいと思います。」
「介護される方が申しわけなく感じないものを開発してください。」
(参考意見抜粋)

どのような製品をお探しですか?
日常生活支援用品(自助具、介護関連用品など)7%
「福祉機器は実際に見て、触れて、体験してみないとわからないことが多いため、それができて満足です。どの企業の方も詳しく話してくださって良かったです。」

以上のことから、推測して「使いたいと思える製品がないかを探している。」「新しい製品を体験してみたい。」が来場者の目的として考えてみることにする。

では、愛bowの新規性や他社にない強みは?心惹かれるポイントは?
 デザイン・機能
 プレゼントとしての位置付けも考えられる。

市場に流通している商品に欠けている要素は?
 デザイン・満足感・使いやすさ

ターゲットは?
誰がこの箸を使うのか、どんな人が使うのか?
 見た目にこだわる人・自然派・高級志向の個人のユーザー・ハイセンスな人

どこにどう売りこめば効果的か?
 高級型の介護施設、個人、百貨店、介護用品売り場、病院、セレクトショップなど

この箸によってどんな問題が解決できるのか?
  これまでの箸では使えなかったユーザーの問題←形状や機能、握力など
  介護者の負担、使用者のプライドや満足感・精神面

キーワードが絞れてきた。
「デザイン」「高級感」「プレゼント・ギフト」「満足感」

これらのキーワードから、来場者の心を動かすブースのイメージを探っていこう。
今日はここまで

次回は箸factory宮bowとしてのブランドイメージについて再確認と再構築してみよう。

最後に「アップルのデザイン」という本を読んで心に残った文章を書き記しておく。

顧客とのあらゆる接点をデザインする。 
商品の存在を知り、商品を買いに行き、実際につかって生活する。その全ての場面で消費者が得る一連の体験を丹念に作り込み、いかなる場面でも顧客を迷わせず、がっかりさせす、そしてそのうえで顧客の予想を超えるようなサプライズを用意する。
素人にもわかる範囲のセンスの良さにとどめる。

このプジェクトを初めてもう少しで、折り返し地点となります。

本当に多くの皆様に支えられて、応援していただいていることを実感しております。
応援のコメントを拝見して、涙がこぼれそうになるくらい嬉しいお言葉多数ありました。
皆様のご支援のおかげで全体の64%(17日現在)まで達することができました。
皆様に感謝いたします。ありがとうございます。

私が「箸を届けるプロジェクト」を始めようと思ったきっかけについて、いま一度、思い返し後半戦を迎えたいと思います。

私は、この「愛bow」の秘めているチカラを、これまでの経験で十分に理解しているつもりです。
箸ひとつで人生が変わる瞬間を、何度も目撃してきました。

 

この箸には「人生を変える」チカラがあると信じています。

 

そして、この箸をどのようにプロデュースすれば、多くの皆様に届けられるかもストーリーは描けています。
しかし、私はそのための資金を用意するという経営者としての才能はなく、この箸のチカラを最大限に引き出すことができていません。
箸factory宮bowを立ち上げた時は、まさか、自分が開業しお店を持つことなんて考えもしていませんでした。

今、私がチャレンジするクラウドファンディングとは、インターネットを通じて、人々に比較的少額の資金提供を呼びかけるものです。
この支援の形態は、経営が不得意な人や、熱い想いを持っている人、社会をより良くするために頑張っている人にとっては、とても有効な手段であり、チャレンジする価値があるシステムだと思っています。

以前までは、他者に支援をお願いすることは、恥ずかしいことだと思っていましたし、後ろめたさも感じていました。
しかし、この箸のチカラを信じているからこそ、このままにしておくことができませんでした。
他人の目を気にするよりも、それを以上の熱い想いと強い信念があれば、きっと理解し支援してくれる人が現れると信じています。
その支援がプロジェクトを推し進める原動力となり、社会が「このプロジェクトを進めていいよ!」と賛同してくれていることになると思っています。

私は、今回のプロジェクトで選択肢のある未来を作りたいと思っています。
詳しい内容に関しては、クラウドファンディングサイトreadyforの宮bowページをご覧ください。
→ https://readyfor.jp/projects/miyabow

 

私一人にできることは限界があります。
しかし、皆さんと一緒でであれば未来を変えられます。
クラウドファンディングでは、お金では買うことができない
何かをとも成し遂げるという「貴重な体験」を共有することができます。

 

この想いが届いた方がいたならば、未来へ向けてともに歩んでください。
後半戦もこのプロジェクトが成功するように最大限の努力をしますので
ご支援、ご協力宜しくお願い致します。

このプジェクトを初めてもう少しで、折り返し地点となります。

本当に多くの皆様に支えられて、応援していただいていることを実感しております。
応援のコメントを拝見して、涙がこぼれそうになるくらい嬉しいお言葉多数ありました。
皆様のご支援のおかげで全体の64%(17日現在)まで達することができました。
皆様に感謝いたします。ありがとうございます。

私が「箸を届けるプロジェクト」を始めようと思ったきっかけについて、いま一度、思い返し後半戦を迎えたいと思います。

私は、この「愛bow」の秘めているチカラを、これまでの経験で十分に理解しているつもりです。
箸ひとつで人生が変わる瞬間を、何度も目撃してきました。

 

この箸には「人生を変える」チカラがあると信じています。

 

そして、この箸をどのようにプロデュースすれば、多くの皆様に届けられるかもストーリーは描けています。
しかし、私はそのための資金を用意するという経営者としての才能はなく、この箸のチカラを最大限に引き出すことができていません。
箸factory宮bowを立ち上げた時は、まさか、自分が開業しお店を持つことなんて考えもしていませんでした。

今、私がチャレンジするクラウドファンディングとは、インターネットを通じて、人々に比較的少額の資金提供を呼びかけるものです。
この支援の形態は、経営が不得意な人や、熱い想いを持っている人、社会をより良くするために頑張っている人にとっては、とても有効な手段であり、チャレンジする価値があるシステムだと思っています。

以前までは、他者に支援をお願いすることは、恥ずかしいことだと思っていましたし、後ろめたさも感じていました。
しかし、この箸のチカラを信じているからこそ、このままにしておくことができませんでした。
他人の目を気にするよりも、それを以上の熱い想いと強い信念があれば、きっと理解し支援してくれる人が現れると信じています。
その支援がプロジェクトを推し進める原動力となり、社会が「このプロジェクトを進めていいよ!」と賛同してくれていることになると思っています。

私は、今回のプロジェクトで選択肢のある未来を作りたいと思っています。
詳しい内容に関しては、クラウドファンディングサイトreadyforの宮bowページをご覧ください。
→ https://readyfor.jp/projects/miyabow

 

私一人にできることは限界があります。
しかし、皆さんと一緒でであれば未来を変えられます。
クラウドファンディングでは、お金では買うことができない
何かをとも成し遂げるという「貴重な体験」を共有することができます。

 

この想いが届いた方がいたならば、未来へ向けてともに歩んでください。
後半戦もこのプロジェクトが成功するように最大限の努力をしますので
ご支援、ご協力宜しくお願い致します。

いつからだろう。
ジャコメッティに興味を示し始めたのは・・・

 

ほんのすこし前までは、「細い彫刻の人」くらいの知識がなかった。
今年、ジャコメッティ展が開催されるという情報が頭の片隅のどこかで引っかかっていたのかもしれない。
でも、以前までなら「行きたい!」とは思わなかったと思う。

 

しかし、今は違う。
図書館でジャコメッティの作品集や書籍を借りてきている。
そして、彼に魅了されている。

 

作品集には、ジャコメッティ語録と言えるような言葉があり、それらが次から次に頭の中を攪拌してくれる。

 

そのいくつかを紹介したい。

 

「私が幸福なのは不可能なことを試みている時、そしてそれが非常にまずしくしか進んでいない時だけである。」「簡単にそしてうまく進み始めた途端、それはもはや私の関心を全く引かなくなる」

 

「モデルに近づけば近づくほど、それだけますますモデルは後退していくことを知りながら、続けるのである。私自身とモデルとの間のへだたりはだんだん大きく、絶えず増すものであるようだ。それは終わりなき探求である」

 

「仲間の学生たちは大きなかたまりを積み上げて作っていたが、私にはモデルは一本の糸みたいに見えた。いつ面をつけて作ってゆくのかと、教師は何度もたずねた。そんなことは不可能だった!」

 

「彫刻は、だんだんますます小さなものになってゆくので私は恐怖をおぼえた。小さい時にのみ、生にとって真実なのだった。・・・おびただしい数の細部だけしか識別できなかった。全体を見ようとすると、モデルはどんどん遠ざけなければならなかった。そして、遠くなればなるほど、頭部はますます小さくなって、それが私を怖れさせた。ものが消滅してしまう危険があったのだ」

 

ポケットから取り出した六つのマッチ箱の中には、何年かの作品が全て入っていたのだ。「もううんざりだった!1インチばかりの小片も自分の彫刻を小さくさせないと誓った。それから、また別のことが起こった。高さは本来のままの高さを維持しえたが、どれもみんな実に細くなってしまったのだ。引き伸ばし、細くした時のみ、実物に似てくるのだった。

 

「もし私があなたを正面から見ると、横顔を忘れる。横顔で見ると、正面の顔を忘れてしまう。あらゆるものが不連続となる。核心はそこのところにある。私は全体をとらえるところには決してたどり着かない。・・・」

 

「ある日、私は彫刻を一点、展覧会に持っていくところだった。片手でそれを持ち上げて、ずいぶん軽いなと気付きながら、タクシーの中に置いた。持ち上げるのに屈強な男性を五人も必要とするような等身大の彫像には、私はいつも本当のところをいうと苛立たしい思いをしてきた。なぜ苛立ったかというと、街路を歩いている一人の男はそんなに重くはないし、同じ人が死んだ場合の重さはずっと軽いことは確かだったからである。私が無意識のうちに手に入れようと努めていたのはまさしくこの重量のなさということだった」

 

これらの文章から、恐ろしいほどの探究心や哲学的思想が伺える。

 

私たちが「なんだかそんなふうに見えるかもしれない」と思えるギリギリのところのせめぎ合いをしながら、作品作りをしているように感じる。
彼の作品は、一瞬でわかるような写実感がないからこそ、対峙した時にあらゆる角度や距離などから作品と対話しなくてはならないのかもしれない。だからこそ、こちら側も気を抜けないし、とても疲れそうな気がする。
絵本ではなく、推理小説を読み解くように

 

どこか円空仏にも似ているような気がする

 

 

そして、偶然なことに、今現在、ジャコメッティのふるさとであるスイスのお客様からお箸の注文を頂いている。

「ジャコメッティ展」2017年6月14日(水)~9月4日(月)国立新美術館

巡回展 2017年10月14日(土)~12月24日(日)豊田市美術館

いつからだろう。
ジャコメッティに興味を示し始めたのは・・・

 

ほんのすこし前までは、「細い彫刻の人」くらいの知識がなかった。
今年、ジャコメッティ展が開催されるという情報が頭の片隅のどこかで引っかかっていたのかもしれない。
でも、以前までなら「行きたい!」とは思わなかったと思う。

 

しかし、今は違う。
図書館でジャコメッティの作品集や書籍を借りてきている。
そして、彼に魅了されている。

 

作品集には、ジャコメッティ語録と言えるような言葉があり、それらが次から次に頭の中を攪拌してくれる。

 

そのいくつかを紹介したい。

 

「私が幸福なのは不可能なことを試みている時、そしてそれが非常にまずしくしか進んでいない時だけである。」「簡単にそしてうまく進み始めた途端、それはもはや私の関心を全く引かなくなる」

 

「モデルに近づけば近づくほど、それだけますますモデルは後退していくことを知りながら、続けるのである。私自身とモデルとの間のへだたりはだんだん大きく、絶えず増すものであるようだ。それは終わりなき探求である」

 

「仲間の学生たちは大きなかたまりを積み上げて作っていたが、私にはモデルは一本の糸みたいに見えた。いつ面をつけて作ってゆくのかと、教師は何度もたずねた。そんなことは不可能だった!」

 

「彫刻は、だんだんますます小さなものになってゆくので私は恐怖をおぼえた。小さい時にのみ、生にとって真実なのだった。・・・おびただしい数の細部だけしか識別できなかった。全体を見ようとすると、モデルはどんどん遠ざけなければならなかった。そして、遠くなればなるほど、頭部はますます小さくなって、それが私を怖れさせた。ものが消滅してしまう危険があったのだ」

 

ポケットから取り出した六つのマッチ箱の中には、何年かの作品が全て入っていたのだ。「もううんざりだった!1インチばかりの小片も自分の彫刻を小さくさせないと誓った。それから、また別のことが起こった。高さは本来のままの高さを維持しえたが、どれもみんな実に細くなってしまったのだ。引き伸ばし、細くした時のみ、実物に似てくるのだった。

 

「もし私があなたを正面から見ると、横顔を忘れる。横顔で見ると、正面の顔を忘れてしまう。あらゆるものが不連続となる。核心はそこのところにある。私は全体をとらえるところには決してたどり着かない。・・・」

 

「ある日、私は彫刻を一点、展覧会に持っていくところだった。片手でそれを持ち上げて、ずいぶん軽いなと気付きながら、タクシーの中に置いた。持ち上げるのに屈強な男性を五人も必要とするような等身大の彫像には、私はいつも本当のところをいうと苛立たしい思いをしてきた。なぜ苛立ったかというと、街路を歩いている一人の男はそんなに重くはないし、同じ人が死んだ場合の重さはずっと軽いことは確かだったからである。私が無意識のうちに手に入れようと努めていたのはまさしくこの重量のなさということだった」

 

これらの文章から、恐ろしいほどの探究心や哲学的思想が伺える。

 

私たちが「なんだかそんなふうに見えるかもしれない」と思えるギリギリのところのせめぎ合いをしながら、作品作りをしているように感じる。
彼の作品は、一瞬でわかるような写実感がないからこそ、対峙した時にあらゆる角度や距離などから作品と対話しなくてはならないのかもしれない。だからこそ、こちら側も気を抜けないし、とても疲れそうな気がする。
絵本ではなく、推理小説を読み解くように

 

どこか円空仏にも似ているような気がする

 

 

そして、偶然なことに、今現在、ジャコメッティのふるさとであるスイスのお客様からお箸の注文を頂いている。

「ジャコメッティ展」2017年6月14日(水)~9月4日(月)国立新美術館

巡回展 2017年10月14日(土)~12月24日(日)豊田市美術館

何かに誘われるように本屋さんへと足が向かった。

探していた本があったわけでもなく、ただ時間を持て余していたからだ。

しかし、そんな時にこそ出会いはあるのだ。

 

ユリイカ 4月増刊号 総特集「縄文 Jomon」

ピンク色の怪しい表紙にJomonの文字。

ユリイカ聴いたことはある雑誌だったが、手に取ったことは一度もなかった。

もちろん、どんな雑誌なのかも知らない。

偶然にも、今回の画廊での展示会でちょうど、お客さんと縄文の話題で盛り上がっていた矢先のことだったから、余計に気になってしまった。

少し悩んだふりをしてみたが、もうすでに無意識レベルで買うことを決めていたと思う。

 

そして、今現在、この本を読みながらこのブログを書いている。

現在進行形で、感じたことを書き記していくことにする。

 

なぜ、縄文土器はあのような抽象彫刻に近い造形になったのか。そのことを疑問に思っていたが、少しだけその理由が見えたような気がした。

個人的な見解なので、一つの仮説として読んでもらえればいい。

 

縄文人は、狩猟民族である。

生きていくためには、動物を殺し、木の実などをいただく。

それらは、食料として自分たちの命を繋いでくれる大切な存在だ。

そして、それらを調理する道具として土器があった。

調理=儀式

という仮説が浮かんでくる。

だから、呪術的な想いや願いを込めて土器に様々な文様を施し、自然から頂戴する命に感謝や畏怖の念などを表していたのかもしれない。食べることの許しを得るために特別なエネルギーを込めた道具で調理をする。その道具は、まるで特別な儀式が行われるブラックボックスであるかのように。

いくら時代が変わっても、食事という行為は変わらない。それなら今現在、私が食事をいただく道具としての器を作るときにも同じことが言える。

食事をする=命をいただく

その器で命をいただく。ならば、その器にもおまじないのようなエネルギーの文様を刻み、ブラックボックスのような役割を与えることによって、「食事をする=命をいただく」をより意識的に実感でき、毎日の食事に対して感謝ができるのではないだろうか。

 

しかし、読み進めていくと、ル・コルビジェの言葉が紹介されていた。

「今日では装飾された品が、百貨店の売り場に溢れており、廉価にミディネットに売られている。安く売られているということは、この場合とりも直さず製造の粗悪、装飾による欠点の隠蔽、使用材料の劣悪を意味する。つまり装飾が擬装したのだ。」

 

安易に器に模様を彫ろうと思った考えが、見透かされているように、この言葉が胸に突き刺さる。装飾を軽く考えてはいけないと釘を刺された感じだ。

 

〔 269ページのうち61ページまでの感想文 〕

まだまだつづく…

何かに誘われるように本屋さんへと足が向かった。

探していた本があったわけでもなく、ただ時間を持て余していたからだ。

しかし、そんな時にこそ出会いはあるのだ。

 

ユリイカ 4月増刊号 総特集「縄文 Jomon」

ピンク色の怪しい表紙にJomonの文字。

ユリイカ聴いたことはある雑誌だったが、手に取ったことは一度もなかった。

もちろん、どんな雑誌なのかも知らない。

偶然にも、今回の画廊での展示会でちょうど、お客さんと縄文の話題で盛り上がっていた矢先のことだったから、余計に気になってしまった。

少し悩んだふりをしてみたが、もうすでに無意識レベルで買うことを決めていたと思う。

 

そして、今現在、この本を読みながらこのブログを書いている。

現在進行形で、感じたことを書き記していくことにする。

 

なぜ、縄文土器はあのような抽象彫刻に近い造形になったのか。そのことを疑問に思っていたが、少しだけその理由が見えたような気がした。

個人的な見解なので、一つの仮説として読んでもらえればいい。

 

縄文人は、狩猟民族である。

生きていくためには、動物を殺し、木の実などをいただく。

それらは、食料として自分たちの命を繋いでくれる大切な存在だ。

そして、それらを調理する道具として土器があった。

調理=儀式

という仮説が浮かんでくる。

だから、呪術的な想いや願いを込めて土器に様々な文様を施し、自然から頂戴する命に感謝や畏怖の念などを表していたのかもしれない。食べることの許しを得るために特別なエネルギーを込めた道具で調理をする。その道具は、まるで特別な儀式が行われるブラックボックスであるかのように。

いくら時代が変わっても、食事という行為は変わらない。それなら今現在、私が食事をいただく道具としての器を作るときにも同じことが言える。

食事をする=命をいただく

その器で命をいただく。ならば、その器にもおまじないのようなエネルギーの文様を刻み、ブラックボックスのような役割を与えることによって、「食事をする=命をいただく」をより意識的に実感でき、毎日の食事に対して感謝ができるのではないだろうか。

 

しかし、読み進めていくと、ル・コルビジェの言葉が紹介されていた。

「今日では装飾された品が、百貨店の売り場に溢れており、廉価にミディネットに売られている。安く売られているということは、この場合とりも直さず製造の粗悪、装飾による欠点の隠蔽、使用材料の劣悪を意味する。つまり装飾が擬装したのだ。」

 

安易に器に模様を彫ろうと思った考えが、見透かされているように、この言葉が胸に突き刺さる。装飾を軽く考えてはいけないと釘を刺された感じだ。

 

〔 269ページのうち61ページまでの感想文 〕

まだまだつづく…